個人的な理解-念仏と五井先生の教え4

願望実現の界隈におけるもう一つの「伝説」それが108式でした。

アファメーション以外の方法があまり目に入っていなかったので

108式もその主導者108氏の事も、よく知らなかったのですが、

半ば惰性で「願望実現法のまとめサイト」など眺めている時さかんに

目に入る「108」に興味をひかれ、初めて本格的に目を通しました。

そして驚きました。

「思考や感情が現実化する訳じゃない」と言っていたからです。

私が今まで触れてきた情報と随分違う事でした。では何によって

「願望が叶う」のか?

 

108式によると、それは「向き」によるのだという事でした。

向きとは?要約すると、自分が望んだことは自分の世界では

既に叶っていて全ては「既にある」のだが、人がそれとは反対の

「不足」の方を向いているためにそれが分からない。

不足とは「既にある」「充足」という光源からの光によって

出来た影に過ぎないから充足の方を向けば良いだけだというのです。

充足の方を向いてただ豊かさを受け取ればいいと。

そして不足、これは何々が無いと思う事も含めて、自分自身が

「いやだなと感じる事」だそうですが、それに目が向いたら

それを「疑う」。不足は実体の無い影に過ぎないから、疑われると

消えるんだよという事でした。

 

私はもちろん願望実現法としてこれらの知識を得ました。

しかし同時に、五井先生の教えや念仏への理解が深まった気がするのです。

 

というのも浄土真宗などでは阿弥陀仏を「おまむきさま」と言ったり

するそうですが、これはつまり真正面におわすという事です。

浄土宗でも光明主義の山崎弁栄上人は「如来は常に目の前にまします」

と言い、念仏修行には正面の壁に仏画をかけたり、丸に点々でもよいから

お顔を想って念仏することをすすめていました。

これは「向き」の話ではないですか!

五井先生も、信者の方から八方ふさがりなんですと相談された時には

「天があいているよ」と答えられたそうです。

祈りの中に入っていなさいとは、いつも神様想いの心でというのは、

神様の方を、光の方を向いていなさいよという事ではなかったでしょうか。

そして不足は実体のない消えるものという話は、まさに消えていく姿と

通じるのではないだろうか・・・。