個人的な理解-念仏と五井先生の教え1

言葉によって救われるという考え方に出会ったのは、

健康雑誌に載っていた「ホ・オポノポノ」が最初でした。

その時は特に何も感じませんでしたが、後年求職に行き詰った時

オポノポノの実践者が、念仏も凄く良い言葉ですよと

紹介していたことから、藁にもすがる思いで念仏を行いました。

元々家の宗旨だったこともあり馴染み深いものだったからです。

この時は三日四日ほど熱心に念仏したところ、それによって

としか思えないほど不思議なトントン拍子で悩みは解消されました。

 

しかし単純に念仏だけしていたのではどうも順調にいかない気がして

色々念仏の本を読んでいた時、現代の念仏・・・「生きている念仏」

という本に出くわしました。

世界平和の祈りの提唱者五井昌久先生の著作です。

現代に南無阿弥陀仏はどうも、という人に、念仏と同様に

光の言葉である世界平和の祈りはどうですかと説明する本でした。

これが五井先生の著作にふれるきっかけとなりました。

 

それから五井先生の著作を買いあさり、念仏・・・祈りによって

救われるとは、どういうことかを学ぼうと思いました。

この当時またも色々悩みの中にあり、念仏を唱えても祈ってみても

以前のような劇的な好転がなく、何が違うのか、真剣さが?

やり方が?と、迷いの中で、消えていく姿※って何なのか、

分からずに悩んでおりました。

 

白光真宏会の教義(消えていく姿の教え)

『人間の真実の姿は、神の分け命(分霊)であって、業生ではなく、

つねに祖先の悟った霊である守護霊と、守護神(大天使)によって

守られているものである。

この世の中のすべての苦悩は、人間の過去世から現在に至る

誤った想念が、その運命と現れて消えてゆく時に起る姿である。

いかなる苦悩といえど、現れれば必ず消えるものであるから、

消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるのであると

いう善念を起し、どんな困難の中にあっても、自分を赦し、

人を赦し、自分を愛し、人を愛す、愛と真と赦しの言行をなし

つづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心をつねに

想い、世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、個人も人類も

真の救いを体得できるものである。』